チョコレート、アイスクリーム、エイプリルフールに夏休み。
この世は期間限定であふれている。
寒い寒いと呟く彼の声を聞きながら坂を下る。何重にも巻いたマフラーに顔を埋めて、少し背中を丸めて歩く彼は、冬が苦手だと言っていた。いわれてみれば、彼には夏のイメージがある。そう返すと、お前は冬だな、と笑って返された。あれはいつのことだっけ。まだ一年と半分程度しか共に過ごしていないのに、気付けば長い間一緒にいたような錯覚を覚える。それだけ、共に過ごした日々がめまぐるしかったのかもしれないけれど。
今日は女の子の秘密の会合の日!涼宮さんは部室に来るなり高らかに宣言して、朝比奈さん、長門さんの肩を抱いて帰っていってしまった。宣言してしまっては秘密でも何でもない気がするのだけど、彼女はとても楽しそうに笑っていたから問題はないだう。また、なにか面白いことを考えているのかもしれない。
彼女の満面の笑みを見ると、僕はとても安心する。それは閉鎖空間の心配ということだけじゃなく、純粋に、彼女には笑っていてほしいと思うからだ。北高に来て彼女に会うまでは、こんな風に感じるようになるなんて思いもしなかった。
それに、そう思うのは僕だけじゃない。あいつの笑顔はひやひやするな。そう言ってため息をつく彼だって、言葉とは裏腹にひどく優しい表情になるのを、僕は知っている。
彼が呟くたびに白い呼気が広がって、空へと溶ける。部活動をしている生徒の帰宅時間にはまだ早く、かといって帰宅部の生徒はもうとっくに帰ってしまっているような中途半端な時間帯。山の上と言ってしまっても差し支えないような通学路に人通りはなく、辺りはひっそりと静まっている。
こうやって二人きりで帰るときの僕の沈黙に、彼はもう慣れて久しい。最初こそあまり話さなくなる僕の様子に怪訝な顔をしていた彼だったけれど、その方が実は僕にとって楽なのだと説明すると、ひどく納得した様子だった。お前、実は根暗そうだもんな、という一言は余計だと思ったけれど、そう言った彼が何故か本当に嬉しそうに笑ったので、結局文句を言いそびれてしまった。
根暗かどうかはさておき、僕は元々あまり喋る方じゃない。だからこそ、あえて何かを話そうとすると、長台詞になってしまうのだ。いちおう自覚はあるけれど、だからといってどう直せばいいのか分からないし特に困りもしないからそのままだ。
「ちょっと寄っていいか?」
彼が立ち止まってコンビニを指す。特に用事も無いからと彼に続くと、開いた自動ドアから暖かい風が吹いて、美味しそうな匂いが漂った。肉まんだろうか、レジの上のポップには冬季限定!の文字が踊っている。二人での帰りに、彼が寄り道するのは珍しい。そんなに寒かったのだろうかと彼を見ると、彼は意外なことに食玩の棚の前に立っていた。
「なにかあつめてるんですか?」
「いや、妹がな…」
棚に沿って目を滑らせる彼の、その言葉だけで僕はおおよその事情を把握する。彼はおそらく、妹にが集めている何らかの食玩を一緒に探してあげているのだろう。優しいんですね、と言ったら、あまりにもうるさいからだ、と呆れたように返された。それがただの照れ隠しだということは、僕はもう十分に理解してしまっている。
「なんでも期間限定発売らしくてな…」
「ああ、最近多いですね」
そう言いながら僕も彼の目線を追う。ヒーローもののフィギュアから女の子が喜びそうな家具のミニチュアまで、小さな箱がところ狭しと並んでいた。彼が小さくため息をつく。
「その季節にあったものをってのなら分かるが、なんでもかんでも期間限定にすればいいってもんじゃないだろ」
「まあ、一定の効果はあるんでしょう。これだけ多用されるということは」
くるりと辺りを見回せば、あちらこちらに期間限定の文字が踊る。さすがコンビニ、といったところだろうか。
下の方が見えないのか、屈んだ彼につられて僕も屈む。
「そんなもんかね」
「そんなものですよ」
僕がそう返すと、彼は棚に向けていた視線をこちらに戻した。何か釈然としないといった顔だ。
「…うまくまるめられた気がするが」
「そんなことないですよ、僕のはただの一般論です」
彼はたまによく分からない負けず嫌いを発揮する。別に、まるめこんでるつもりも何もないのだけれど。どうしてだろう。
でも、コンビニでこうやって他愛もない会話をするのは、なんだか普通の友人同士になったみたいで楽しくて、なんとなく面映ゆい。
結局目的のものは見つからなかったらしい。彼はかわりに肉まんをひとつ買ってコンビニを出ると、歩きながら取り出して半分に割る。何をしているんだろうと見ていると、彼はまるでそうするのが当たり前だという風に半分を僕にさしだした。不意打ちに思わず目が点になる。
「嫌いだったか?」
「…いえ、とんでもない」
驚きはしたけれど、断る理由もないのでありがたく受け取った。いつも憎まれ口ばかり叩く彼だけど、本当はとても優しいのだ。その優しさの種類が彼が妹さんに向けるものと同じような気もするけれど、気にするだけ損なので気にしないことにする。
「しかし、せわしなくてあんまり好きじゃないな」
しばらく黙々と白い固まりにかぶりついていた彼が、思い出したように言葉をこぼす。一瞬なんのことかと思ったけれど、すぐにさっきのコンビニでの話題だということに気がついた。
「そうですか?期間限定と言われると少し特別な感じがしませんか。一期一会みたいな」
僕がそう答えると、彼は納得がいかないといったように眉を寄せる。
「いや、そんな事言ったら、そもそも人間の一生が期間限定みたいなもんじゃないか」
「なかなかに詩的な考え方ですね」
「笑うな。ただの事実だ」
僕の感想はどうやら彼の羞恥心を刺激したらしい。彼は目尻をほんの少し紅く染めて、そっぽを向いてしまった。僕は彼の感性を賞賛こそすれ、けして馬鹿にしたわけではないのだけど。
それに、彼がこういう観念的な事を言うのは珍しい。でも…確かに、
「そう言う意味なら、すべてのものは期間限定かもしれませんね」
永遠、なんて存在しませんしね。心の中でそうこぼすと、彼が怪訝な顔でこちらをみる。
「…なんか、今の言葉、含みがなかったか」
「そんなことないですよ」
彼の鋭さに内心で肩をすくめながら、僕は飄々と言葉を返す。
知覚できないのは無いのと同じ。だから、永遠なんて存在しない。単純で言葉遊びみたいな理屈だけれど、こういう理屈を彼は嫌がる気がしたので黙っておく。言わない言葉も、無いのと同じだ。
代わりに僕はどうでもいい言葉を紡ぐ。
「期間限定におけるそのものの優位性は、“特別感”や、“焦燥感”によるところが大きいらしいですよ」
「そうかい」
「でも、特別感、というのには、人生はちょっと長いですね。漠然としていて。期間限定を意識することでの、特別感、からはちょっと遠いかもしれません」
彼はちらりとこちらに目をやって一瞬なにか言いたそうに口を開きかけて止まり、何も言わずに前方に視線を戻した。僕は相変わらず飄々と、いつもの笑顔を浮かべて歩く。
チョコレート、アイスクリーム、エイプリルフールに夏休み、例えればそう、人生ですら。
この世は期間限定であふれている。
そして、もちろん、この恋も。