うーん、右だな。
え、そうですか、僕は左ですね。
…なんかお前分かりやすいな。
あなたに言われたくないですよ、さっきから同じじゃないですか。
そんなこともないと思うが…。あー、うん、あっちもいいな。
え、どこです?
ほら、前の。扉んとこ。
ああ、なるほど。
こう、ふわっとしてるのがいい。
僕としてはもう少し細身のほうが好みですね。
あれでも結構細い方だろ。てか、あれ以上細くなってみろ、骨と皮だけになるぞ。
そんなことないですよ、もうちょっと絞ったらスレンダーないい身体になると思うんですけど。
お前それは理想高すぎだろ…。
高くたって、ただ好みでいる分には誰にも迷惑かけませんよ。—あ、
横断歩道前のか?
よく分かりましたね…ってなんで笑うんですか。
いや、本当に分かりやすいと思ってな
。
ああいう雰囲気に弱いんですよね。
いわゆる、綺麗なお姉さん、だな。お前みたいなのが好かれそうだし、ちょうどいいんじゃないか?
そうですか?案外あなたみたいな方のほうが需要があると思いますけど。
需要…?こんな平凡なのが好みなら、供給が多すぎて俺にお鉢はまわってこんだろうな。
ふふ、そういうことにしておきましょう。まあ、あなたの好みとは合わないでしょうしね。
どちらかというと、柔らかい感じの子が好きみたいですし。…あと胸。
おまえなあ…。もう少し言い様がないのか。
でもあなた、好きでしょう、胸の大きい子。
で、全体的に少しふくよかで、優しい雰囲気だとなお良し、でしょうか。
ああ、そうだとも。
…開き直りましたね。
お前相手に恥じらう理由もないからな。
なるほど。それはもっともです。
…あれ、じゃあお前、森さんとかも好みなわけか?
ええ、好みですよ。
言い切ったな…。
機関から迎えに来たのが彼女じゃなかったら、もう少しゴネたかもしれないくらいには好みです。
…外見は。
…最後のは聞かなかったことにしてやろう。なんとまあ、世界を守る超能力者が聞いて呆れる。
そのわりには顔が笑ってますよ。
いいじゃないですか、超能力者でも中身は中学生です、女の子も女の人も大好きでしたよ。
過去形か?
いいえ、とんでもない。
だよなあ。俺もだ。
さて、ここまでお付き合いいただいた皆様にそろそろ状況を説明することとしよう。
お察しの良い皆様はお気づきのことと思うが、上の会話は俺と古泉の会話である。
いつもの不思議探索でペアになった古泉と俺が、某有名デパートの壁にもたれ、行き交う人たちを眺めての女の子談義。まあ、男同士なのでそれ自体に何の不思議もない。
最初は世界を守る勤労学生である古泉とこんな話ができるとは夢にも思わなかったが、つきあってみれば古泉は案外普通の男だった。この歳では珍しい一人暮らしや常に笑顔で敬語を使うという側面はあるが、それ以外は至って普通なのである。テレビも見れば漫画も読むし、俺との馬鹿話だってお手の物だ。そしてもちろん普通に女の子が好きなわけで、やたら顔が良くてモテるもんだから女の子なんて逆に煩わしいのでは、とかいう世間一般の妄想(という名の僻みだなこれは)をあっさりと裏切って、俺と女の子の話題で盛り上がったりする。
谷口ほどではないが、俺も古泉もほどほどにこの手の話題が好きだ。俺と古泉の好みは全くもってあわないが、人の好みなんぞ大抵そんなものであるからして何の問題もない。
よって今日も俺は古泉と無責任な女の子談義に興じるのである。 以上。
…と、何の問題もなく終われれば良かったのだが、そうは問屋と皆様と、何より左手の熱が卸してはくれない。今この場にはごく些細な、しかし個人的にはこれ以上ないぐらいの大問題が鎮座ましましている。
それは通行人から見えないところで古泉に握りしめられた俺の左手であり、俺が握り込んでいる古泉の右手である。あえて判りづらい言い回しを選んだのは要するに、その事実を俺が認めたくないからだ。…考えてもみて欲しい、こんな真っ昼間から男と手をつないでいる状況なんぞ、積極的に認めたい男子高校生がいるだろうか。しかも、その手が存外に気持ち良くて放しがたいなんて事実は、認めたくないどころの話ではない。おまけに、ただ触れるだけでなく互い違いに握り合ったそれはいわゆる恋人繋ぎというやつである。ありえない。ありえないだろう、色々と。
いや、確かに、古泉の見目がいいのは認めよう。
ハルヒの巻き起こすトンデモ事件に巻き込まれたときに希にみせる真剣な思案顔はぞっとするぐらい綺麗だったりするし、指は細く少し骨ばっていて手足と同様にすらりと長い。色素の薄い髪や目は少し日本人離れしているようにも見え、顔立ちは作りもののように整っているからして、お嬢さん方の羨望の的なのも頷ける。
だがしかし、それだけだ。
身体のラインはけして柔らかくないし、しっかりと男の骨格を持っている。忌々しいことに背だって俺より8センチも高い上、バイト柄身体が資本だとでもいうのか、綺麗に筋肉までついている。いくら優しげな風貌とはいえ、女の子のそれとは似ても似つかない。
SOS団という集団のその外見的ハイスペックさのせいで目が肥えている自覚はあるが、俺の嗜好は至って普通である。普通なのだ、女の子の好みについて楽しく会話できる程度には!(なお言っておくが、世間一般にマイノリティと呼ばれるみなさんに偏見があるというわけではない。ただ、自分はそうではないというだけである)
そんなわけで齢十六程度にして己のアイデンティティ崩壊の危機を迎えた俺の脳内は日々論争が絶えない。国会答弁も真っ青なほど紛糾している頭の中には、静粛に!と叫ぶ理性の声も聞こえちゃいない。責任者はどこだ!この件について説明を要求する!脳内に響く怒号に切実に思う、そんなもの俺が一番知りたい。
加えてさらにいたたまれないのが、これがもう俺と古泉の間で何度となく繰り返されてきた行為であり、もはや何の違和感もなく指を絡ませられるほどお互いがお互いの存在に馴染んでしまったという事実である。手を繋ぐ瞬間、自分の指の間をするりと滑る骨ばった指の感触に、あまり質の良くない寒気が背筋を走るのにも、もうすっかり慣れてしまった。(その寒気がどの種の寒気かは黙秘権を行使させてもらおう)我ながら不本意すぎる。
本当に、可能ならば朝比奈さんにでもお願いして過去の自分に言ってやりたい。
お前の自由恋愛にケチを付けるつもりは毛頭ないが、あのニヤケハンサムだけはやめておけ。精神的地雷は多いし、落ち込んだかと思えば急に開き直って投げやりになったりする。露悪的に振る舞っているくせに、ふと子供みたいに邪気なく笑ったりするから目が離せない。人のことは必要以上に気にかけるくせに、自分のことには恐ろしいほどに無頓着で危なっかしい。その他諸々数え上げればキリがないが、色々面倒だし何より男だ。
…いや、過去の自分にしてみれば、何を当たり前のことをと思うだろうな。それこそ男となんて頼まれたって遠慮する、そう言うに決まっている。なぜなら自分だってそう思っていたからだ。
というか、今でも思っている、思っているのだが。
いっそ前世からの恋人だったとかそういう人知を越えた力のせいにできたらどんなに楽だろう。(そしてその場合、古泉の前世は是非女性でお願いしたい)そう考えてもみたが、誠に残念ながらその手の妄想は今や、不思議なものを夢見た時期のあれやこれやと一緒に段ボールに詰めこまれて部屋の隅だ。その封印は生半可なものではないからして、もはや取り出すこともままならない。
よってほどほどに常識人となってしまった俺は妄想に逃避することもできやしない。
世の中にこんなに女の子が溢れているのに、SOS団の過半数は女子だというのに、何でよりによって古泉なのかと自分自身を問いつめたい。今世紀最大のミステリーだ。
何よりも、一番の謎はこの状況が不満でない自分自身だいう自覚はある。
おかしいだろう、明らかに!そう思っているのは確かなのに、この現状を打破する気が全く起きない。おかげで脳内の理性とかいう突っ込み役は疲労困憊で虫の息だ。自分の事ながら非常に気の毒でならない。そんなことを考えながらも繋いだ手の熱は相変わらず心地よく、相変わらず離す気にもなれやしない。まだ人肌が恋しい季節というわけでもないというのに、これはどうしたことなのか。
横目でちらりと古泉の様子を伺うと、古泉は相変わらず空きもせず人波を眺めている。そのどことなく柔らかく、楽しそうな古泉を見ていると、何故だかさっきまで抱えていた煩悶が全てどうでも良いことのように思えてきて、俺は大きく溜息をつく。
ただそれでも、どうしても、譲れないものはあるわけで。
「別に今の関係に不満はないが、来世こそは女の子と付き合うつもりだぞ」
「同感ですね。来世の僕があなたみたいにタチの悪い男にひっかからないよう、心から願ってます」
…それは俺の台詞だ。